NMB48 須藤凜々花 総選挙での結婚宣言についておもうこと

須藤凛々花の結婚宣言

第9回AKB48選抜総選挙が終わり1番話題になったのは、総選挙で20位に選ばれた、NMB48チームNの須藤凛々花がスピーチで行った結婚宣言だ。

メディア各種も、5位に選ばれた荻野由佳の感動スピーチ、渡辺麻友の卒業発表、指原莉乃の3連覇達成などの話題よりも、須藤凛々花の結婚宣言をメインに報道している。

今回の記事では、須藤凛々花の結婚宣言からおもうことを書いていく。

結婚について

結婚するということ。

それはとても喜ばしいことであり祝福されることです。

現代社会の中で、わたし達は法律に違反しない限り、基本的には行動を制限されない。

結婚は、当人同士が望むことなら、そこに他の人が介入すべきではない。

だが、須藤凛々花の結婚宣言に対しては賛否両論ある。

どちらかと言えば否が圧倒的だ。

なぜ否定的な意見が多いのか

なぜ祝福されるべき結婚に対し、否定的なコメントが多いのか。

それは須藤凛々花の職業が現役のアイドルであること。

また、AKBグループが恋愛禁止を掲げている(本当にあるのかどうかは知りませんが)にもかかわらず、結婚はおかしいのではないかとの理由もある。

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アイドルの恋愛禁止について

なぜアイドルは恋愛禁止なのか

AKBグループに限らずアイドルに恋愛や彼氏の発覚があると、なんらかの処分があったり、やめさせられたりする。

どうしてか?

アイドルになる時に、所属事務所と恋愛については禁止するような契約になっているのだろう。

単純な話、アイドルが誰かと恋愛しているのがわかったら、ファンが離れて人気が落ち商売にならないから。

(逆に、人気の上がった特殊な事例があるので、そうとは言い切れないが)

アイドルファンの恋心

アイドルのファンは、好きなアイドルに対してある種の恋心を抱いている。

現実世界では決して結ばれることがないことをわかっていながら、仮想空間では気持ちが通じ合っている世界を想像し、応援することの生きがいや楽しさにつながっっている。

想像の中のアイドルは、まさに理想の女性だ。

だが、現実世界でアイドルに彼氏がいることが発覚したとする。

現実世界はリアルだ。簡単にファンの仮想空間を吹き飛ばしてしまう。

ある人は、一気に恋心がさめてしまう。

ある人は、裏切られた気持ちになる。

わたしも昔、富田靖子のファンだった時期、富田靖子が元爆風スランプのファンキー末吉と同棲しているとの記事を読んで、一気に恋心がさめてしまい、気持ちを紛らわすためにバッティングセンターに行った苦い思い出がある。

自分の場合は、恋心がさめても富田靖子を好きなことには変わりはなかったが、その時から、熱い想いみたいなものは確実になくなった。(話題が古すぎですが)

だから、アイドルは恋愛禁止にする、または絶対にバレないようにすべきなのは理解できる。

ファンが感情的になるのも理解できる

須藤凛々花のファンが今、感情的になるのはしょうがない部分はある。

ましてや、これからの須藤凛々花の活躍を願って投票した総選挙のスピーチの場だったのも、状況的にファン心理としては最悪に近い。

なぜ、そこまで責められなくてはいけないの?

今回の結婚宣言により、明らかにファンは激減するだろうし、NMB48からのペナルティが課せられる可能性があるだろう。

また関係各所に迷惑がかかっている事態も想定される。

須藤凛々花は、迷惑をかけた部分では今回の件で起こるマイナスの部分を受け入れなくてはいけないだろう。

それはわたし達も一緒で、何らかの契約違反をしたら、そのペナルティは受けるし、仕事で取引先や同僚に迷惑をかけたら信用を失う。それはしょうがない。

なぜ関係ないことで人を責めるのか

だがしかし、須藤凛々花は何か法律を違反する罪を犯したわけではない。

アイドルに彼氏が出来て結婚したくなった。ただそれだけだ。

それによって須藤凛々花は所属先から、何らかのペナルティを受けるだろう。

関係者は迷惑をこうむったかもしれないが、それは当事者同士で話をつければいい話し。

応援する気がなくなったファンは離れるしかない。

熱心なファンが一時感情的になるのはわかるが、だからといって彼女についてSNS等で批判的なコメントをし、彼女の人格を傷つけることが許されるべきではない。

ただのいじめにしか見えない

ここ数年のマスコミ・芸能人・一般人のSNS等すべて含めて、大多数の意見に合わない行動をしたことで弱い立場にたった人に対する社会的制裁を、当たり前だと受け入れてる社会はどうかとおもう。

関係者ならともかく、まったく関係ない人まで出てきて、よってたかって責め立てる。

これってただのいじめじゃないですか。

須藤凛々花が総選挙のスピーチで結婚宣言をしたことについて、どう感じようと自由だが、好き勝手に公の場で個人を叩くことを自由にしていいはずがない。